どちらかと言えば、つぶあん派です。

はじめまして、よっさんと申します。1982年、広島県生まれ。「あひるの空」とゆずの「夏色」とチキン南蛮を愛する一児の父。瀬戸内を盛り上げるために日々奮闘するも、泳げないのがタマニキズです。

ばあちゃんの話

椅子と掛けまして、宅急便と解きます。
その心は、『どちらもクッションが大事です。』
こんばんは。


母方の祖母が亡くなりました。
新型コロナのこともあって長らく会ってなくて、最後に会ったのが2年くらい前かな。
その時も認知症が徐々に始まっとって、記憶や誰としゃべっとるかという理解はあれどそのうち症状の進行が加速するんじゃろうなぁと思っていました。

ほんでこの三連休の中日におかんとおとんの双方から着信があって、その時は電話を取れんかったけぇ折り返しをするとばあちゃんが亡くなったとのこと。わしよりも嫁さんの方が「なんかよくないことが起こったんじゃないん?」と言うとったけぇ、そういうことかと思いました。
この三連休は超大型台風が来とることもあって、通夜だけ参加することにして新幹線で移動することにしました。
さすがに台風上陸前日ともあって自由席の乗車率が100%を超える混雑状態(苦笑)
福山まで帰る新幹線の乗車時間が20分程度でよかったな・・・。息子も立ったままでおらざるを得んかったし。台風上陸前日での連絡じゃったんは「みんなが来やすいように」というばあちゃんなりの配慮だったのかもしれんね。

葬儀場につくと親戚のおじさん達も既に到着しとって、こじんまりとした通夜が始まりました。
聞くと、ここ最近は体調が良くなかったけぇ亡くなる前も苦しかったんじゃろうとのこと。それでも亡くなって目を閉じたばあちゃんの顔は綺麗なものじゃったわ。

わしとばあちゃんの思い出というと、子供の頃にわしがおとん・おかんに怒られたとき「まぁまぁまぁ」と笑顔で手のひらをヒラヒラしながら二人をなだめとったらしく、それが可愛いと言われたことがあるわ。
わし自身もおぼろげにはそんな記憶があるんじゃけど、そうだったんじゃろうなぁ。
基本的に優しい人で怒られた記憶があまりないけぇ、ばあちゃんちによく遊びにいったものです。心残りはやっぱりコロナの影響で息子(ひ孫)の顔をあまり見せに行かれんかったことかな。

今はあまり実感がないけど、そのうち色々なことを思い出すんかもしれんね。
あとはじいちゃんがひとりになって寂しいじゃろうけぇ,時間を作って遊びに行けたらとは思いますわ。

合掌。


そんなこんなで今日は
じじい-おわりはじまり-/宇宙人

タイトルこそ攻めたものじゃけど内容は名曲なんよなぁ。
「死んだ人にはもう会えない けど思い出はよみがえる」
改めて聞くと色々なことがこみ上げてくるわ。