どちらかと言えば、つぶあん派です。

はじめまして、よっさんと申します。1982年、広島県生まれ。「あひるの空」とゆずの「夏色」とチキン南蛮を愛する一児の父。瀬戸内を盛り上げるために日々奮闘するも、泳げないのがタマニキズです。

年賀状の話

仕事納めと掛けまして、世界の海と解きます。
その心は、『どちらも御用(五洋)と表現されます。』
こんばんは。


2021年も残り2日というところでようやく年賀状を書きました。
年賀状のいいところは消印が付かんのでいつ出したかわからんっちゅうところじゃなw
仮に元旦に届かんでも「あれ? わし12月20日には投函したんじゃけどなぁ。おかしいなぁ。」という風を装えるし。
まぁ年賀状自体が最近は減って来とるし、中には届いてから書くという人もおるじゃろうけぇ、元旦に届かんかったけぇと言ってそこまで目くじらを立てる人もおらんじゃろうけど。

さて、さっきも書いたように年賀状を出す人も減ってきています。
これ自体はデジタルの波もあってメールで済ますようになったとか、SNSの普及など人と人とのつながり方が変わってきたことによりますな。企業間でのやりとりをなくす所も増えてきています。
これについてはしょうがない所もあるし、一部賛成するところもあるかなと。
企業間の年賀状は個人的にも辞めていいと思っていて、担当者が担当者に自分の名前で出すのはいいと思うんじゃけど、企業名として出すのは「私」ではなくて「公」になり、そこにあまり感情は生まれんのかなと思っていますわ。
言うなれば「昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。」に何の感情も籠っていない感じですね。貰って激怒することはないけど、喜ぶこともないかなと(苦笑)

一方で個人的な年賀状のやりとりは、わし自身が手紙を書くのが好きな人間なので継続してやっています。
裏面の写真や挨拶は印刷するんじゃけど、一言と表面の住所についてはいまだに手書きで作っています。(←令和の時代に住所も手書きというアナログさw)
一言を書くときは相手を思い浮かべながら言葉を選んで書いとるけぇ、相手とのエピソードを思い出しながら懐かしんでますね。
まぁ何年も会っ取らん人もおるけぇエピソードもそこで止まっとるし、実際会ってみるとエラい歳をとっとるかもしれんけど、それもまた一興かな(笑)
年賀状の印刷代も安い金額ではないんじゃけど、まぁそれでお世話になった人やか関わりのあった人の顔を思い出しながら関係を続けられるなら安いもんだと思っていますわ。

ちなみに大学時代の後輩で「こいつはすごい!」と思えるような奴がおって、今年一年もそいつに負けんように頑張ろうという決意をもって年賀状を出しとる相手がおります。
そいつは何年も前から返信が返ってこんけぇおそらく年賀状を卒業しとるんじゃけど(←わしだけ返してないだけかもしれんけどw)、何か事ある時には「自分もよっさんに負けないように頑張ります」といったメッセージが来るけぇ、まぁ年賀状が届くなり読んでくれたりはしとるんでしょう。
そういう、マイルストーン的な年賀状の使い方もいいんじゃないかと思いますわ。


2021年も残りわずか。年賀状もいったん書き終えたので今年のうちにやらんといけんことは終わったかな。
大掃除は諦めたので(笑)


わっしょい(・∀・)ノ


そんなこんなで今日は
十年後/0930

高校性の時にブレイクした同世代の女の子2人のユニットを久しぶりに聞いた。
「どうかお願い10年後も その先もずっとずっとずっと 君だけの僕で ありますように」
今聞いてもわかりやすくていい歌詞書くなぁ。