どちらかと言えば、つぶあん派です。

はじめまして、よっさんと申します。1982年、広島県生まれ。「あひるの空」とゆずの「夏色」とチキン南蛮を愛する一児の父。瀬戸内を盛り上げるために日々奮闘するも、泳げないのがタマニキズです。

余白の話

星空と掛けまして、たこ焼きのかつお節通勤費と解きます。
その心は、『どちらも時々眩しすぎる(塗しすぎる)ものがあります。』
こんばんは。


「人生には余白が必要だ。」

どこの誰かがそんなことを言っていました。
ここで重要なのは「余裕」ではなくて「余白」なんですね。余裕がある人っちゅう表現はよく聞くんじゃけど余白がある人あるいは余白を持っている人というのはあんまり聞かんと思いますわ。
「余裕」の意味を調べてみると、「1 必要分以上に余りがあること。また、限度いっぱいまでには余りがあること。」と「2 ゆったりと落ち着いていること。心にゆとりがあること。」とあります。
人に対して使う時は2の意味は多いじゃろうね。心にゆとりがあるという意味で。
ほんなら「ゆとり」の意味は?というと、「物事に余裕があり窮屈でないこと」とあります。

元に戻りましたw
まぁざっくり言うと落ち着いているということなのかなと思いますね。

一方で「余白」の意味を調べてみると、「字や絵などが書いてある紙面で、何も記されないで白く残っている部分。」とあります。
ここでのポイントは"何も記されていないで白く残っている部分"という表現ですね。
「余裕」と何が違うのかというと余裕は変化の余地がないが、余白は変化の余地があるというイメージがありますわ。

例えば池の周りに桜の木を植えたとします。
余裕があるというのは等間隔で桜を植えながら一周ぐるりと回った状態ですね。桜と桜の間には距離を取っているのゆったりとした状態です。一方でイチョウの木を植えるスペースは無い。
余白があるというのは等間隔で桜を植えているかどうかは関係なくて、イチョウの木を植えるスペースがある状態です。

仕事で例えるならば堅実にコツコツ仕事をするのが余裕がある人で、常に新しいことにチャレンジしている人が余白のある人だと思います。
これは性格や環境にもよるところがあるけぇ、どっちがいいとかではなくてどっちも大事なんじゃけど、思うに歳を重ねると余白が無くなって余裕が出てくるんじゃと思うわ。
ほんでいつまでも若々しい人っちゅうのは余白を持っています。
そういった意味で、歳をとっても余白を持つという視点は大事じゃと思うけぇ、広島市内に新しくできた呼白(ヨハク)というラーメン屋に行って来ましたw
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ここまで長かったー。

店内は天ぷら料理店のようにきれいなカウンターのみの席で静かな雰囲気。息子がじっとすることができるかなといささか不安じゃったんじゃけど、そこは空気を読んでくれました。
出てきたラーメンはしっかりとした仕事をしていて本当に美味しいものでした。
いつも同じ店のラーメンを食べるのであれば余裕ができるけど、たまには新しい店にもチャレンジできるような余白を持っておきたいですね。

ちなみにこの日記ももう少しなんかありそうなところで辞めるのは余白を持ちたいからです。
決してもう書けない訳ではありませんので、悪しからず・・・。


わっしょい(・∀・)ノ


そんなこんなで今日は
春風/青坊主

シンプルな応援歌で聞いていると元気が出てくるわ。
「新しい土地や新しい人の中にこそ チャンスが待っている 生かしてくれるのを」
やっぱり刺激は大事ですな。