どちらかと言えば、つぶあん派です。

はじめまして、よっさんと申します。1982年、広島県生まれ。「あひるの空」とゆずの「夏色」とチキン南蛮を愛する一児の父。瀬戸内を盛り上げるために日々奮闘するも、泳げないのがタマニキズです。

履歴書の話

時計と掛けまして、オリンピックと解きます。
その心は、『どちらも時刻(自国)で歴史を刻みます。』

こんばんは。

 

今日の新聞折り込みチラシに葬儀場のものが入っていました。内容は見学イベントやショッピングモール等で行うプロモーションイベントの業務について、オープニングスタッフを募集というような内容でしたわ。

葬儀場自体はそこまで生活に身近にあるもんじゃないけぇ珍しさはあれど、求人募集のチラシ自体はそんなに珍しくないですね。それでも日記で書いたのには訳があるんです。

 

このチラシの裏面が履歴書になっとるんですわ。

 

これって結構理に叶っとるなぁと。実際、本気で就職を希望する人はちゃんと履歴書を買いにいくんじゃけど、裏面に履歴書があるだけで「履歴書もあるし、ちょっと応募してみるかな」と思う人も一定数おると思います。履歴書を買うという行動に移る前に、応募を辞める人もおると思うし、そこの壁を取り除くだけでも違うんかなと。

なるほどなーと思った折込チラシですわ。

 

さて、改めて思うと人生で履歴書を書くことはそんなに無いですよね。もちろん人によって多い少ないはあるけど、平均的に見ると数回もいかんのじゃないかと思います。ちなみに、新卒採用の就職活動時は何回も書くんじゃけど、内容というか各段階での自身の状況はほぼ同じじゃけぇ、1回とカウントします。

ここでいう回数とは、例えば20代の新卒採用時に1回、40代の転職時に1回、60代の再雇用時に1回などのイメージですわ。そういった意味でアルバイトもひとくくりにしてもいいかもしれませんね。

わしも履歴書自体は数回書いたこともあるんじゃけど、自分のこれまでの人生を見つめ直すみたいで不思議な感覚になります。資格蘭なんて特にそうよね。

目立った資格もなくて、普通自動車運転免許など、あまり書くことがない。

むしろ今から履歴書を書くとすると、資格よりも経歴(どんなことをやってきたか)などをしっかりと書かんといけんのじゃろうなぁ。

 

そう考えた時に、思うのがSNSの存在。

以前にSNSで積極的に自分を発信することで履歴書が必要なくなるという記事を読んだことがあります。これって確かにそうで、個人がいつでも発信者になることができ、検索技術が進んでいる時代じゃけぇ、自分が持っている技術とそれを必要とする人とのマッチングって、以前よりもやりやすくなっとるんじゃないかと思います。

それまでは、就職活動にしてもリクナビが行うような就職イベントやハローワークの求人情報が頼りじゃったけど、今は何とでもなるような気がしますね。折しも、労働人口の減少による人材不足もあるし。

個人情報は自分で守らんといけんけぇ、どこまで積極的に発信するかっちゅうのはあるんじゃけど、それでも履歴書のいらない時代はどんどん進んでいると思いますわ。

 

ただ一個だけ気になるのが、特にTwitterでよく見る、資格・肩書の乱れ書き。

資格至上主義に近いものがあるんじゃけど、あまり多すぎると読み飛ばしをしてしまうと思いますわ。個人的には、ここはあまり書かない方がミステリアスでいいような気もしますね。投稿部分で触れるようにすると。

まぁ、それも含めてSNSのセルフブランディングではあるんじゃけどね。

 

紙の履歴書自体はまだまだ無くなるものではないと思う一方で、SNSがこれだけ進んでいることを見ると、自分の履歴を紹介する方法も多岐に渡ってきているんじゃないかなぁと改めて思いました。

 

わっしょい(・∀・)ノ


そんなこんなで今日は
secret base ~君がくれたもの/ZONE

アンサーソングもあるけど、とりあえず原曲の方で。
「君の頬を流れた涙は ずっと忘れない」

小学生のシチュエーションなんじゃけど、大人のセリフじゃなぁ(苦笑)