どちらかと言えば、つぶあん派です。

はじめまして、よっさんと申します。1982年、広島県生まれ。「あひるの空」とゆずの「夏色」とチキン南蛮を愛する一児の父。瀬戸内を盛り上げるために日々奮闘するも、泳げないのがタマニキズです。

スルーの話

ひらがなと掛けまして、通帳と解きます。
その心は、『どちらも韻(印)が大事です。』
こんばんは。


タイトルの「スルー」ですが、ドライブスルーでも無ければサッカーのスルーパスの事でもありません。Lineの既読スルーも厳密に言えば違うけど、似ていると言えば似ているかな。
SNSでもらったコメントに対して返事をしないということですな。

きっかけは先日行われた箱根駅伝のこと。沿道に観戦者がそれなりにいた訳です。
例年に比べたら少ないんじゃけど、主催者側は来ないでくださいって言うとったし、今コロナ禍なことを考えると普通は見に行かんのんじゃないかと思うんですわ。
少なくても出場校で控えにまわった選手は寮とかのテレビで見ようたし、一緒に頑張って来たメンバーですらそうなんじゃけぇ、一般の人は我慢するのが普通じゃろうと思ってました。

観戦者が感染者を出してもいかんしね(←誰が上手いことを言えと言った。)

それを見てわしはSNSでつぶやいたんですわ。
リアクションを見る限りは大半の人が賛同してくれたようには思うんじゃけど、中にはコメントで反対意見コメントもあるんですね。
もちろん考え方は人それぞれじゃけぇ否定するつもりもないし、それがSNSじゃけぇ返事を返そうかなと思いました。

が、辞めました。
何となくここでわしの意見を言うたところでこの考え方は平行線になるじゃろうし、感情的になって他の人が読んだ時に不愉快に感じてもいけんしと思って。
じゃけぇコメントをもらったことに対してはありがたいと思いながらも、スルーしました。
まぁ、話を続けるならメールででもできるしね。

するとどうなったかと言うと、他の方が「いやいやそれは違うよ」的なコメントをしてくださったんですね。
好意的なコメントで背中を押してもらったことについては、もっともっと感謝です。
ありがとうございました。
一方で好意的なコメントについてもスルーして申し訳なかったと思っています。
すみませんでした。

そこで感じたんじゃけど、わしこれまでコメントに対してはどんな内容でも返信をしようたんです。反対意見に対しても。
時にはガチでやり合って、4日くらい水掛け論をやったこともあります。(最終的には相手が「くだらねぇ」とサジを投げたので辞めましたが。)
じゃけぇ今回も返そうかなと思ったけど、グッと踏みとどまって少し冷静になれたような気がしますわ。
日常生活でも同じことが言えて、反対意見や不快なことにがっぷりよつで受け止めるんじゃなくて、スッと体を斜めにしてスルーすることも大事じゃなぁと改めて思いました。
交わることが無いのはしょうがないし、それはもうしょうがないで済ませると。

あとは、同じ考えの人が背中を押してくれるということも学びましたね。
これは記憶の限り、初めての体験だったように気がします。


新型コロナの影響の影響でストレスのたまりやすい生活を余儀なくされとるけぇ、色々なことを言うてくる人もおるじゃろうけど、明らかに自分の意見に合わないものは論破に走るのではなくて、少しずつ少しずつ受け流すようにできればと思います。
いわゆる「スルー力」というやつですな。


しかし、「スルー力」と書くと「するーか」に見えるなぁ。


わっしょい(・∀・)ノ


そんなこんなで今日は
ガラスの心で/WANDS

こう見えてもわし結構ガラスの心なのです(笑)
「どれだけ時がゆけば 笑い合えるのだろう」
結構隠れた?名曲じゃと思うわ。