どちらかと言えば、つぶあん派です。

はじめまして、よっさんと申します。1982年、広島県生まれ。「あひるの空」とゆずの「夏色」とチキン南蛮を愛する一児の父。瀬戸内を盛り上げるために日々奮闘するも、泳げないのがタマニキズです。

タイトルの話

家事と掛けまして、家柄と解きます。
その心は、『どちらも継続(系属)します。』
こんばんは。


ここでいう「タイトル」とは日記のタイトルのことなんじゃけど、わしは至極シンプルに「○○の話」というタイトルにしています。
これの所以はタレントの伊集院光さんのエッセイで、各章のタイトルが同じように「○○の話」となっとったけぇ、これを使わせてもらっとるんじゃわ。
かくいうわしも日記を書き始めた頃はこのスタイルではなくて定型のスタイルがないバラバラのタイトルでした。それを辞めた理由は、上記の「○○の話」というシンプルさに魅かれたこと以外にあと2つあります。

ひとつは、タイトルによって期待を持たせ過ぎないこと。
SNSが普及するとタイトルで読者を挽くキャッチーなものが増えてきたわな。「早口言葉で「生麦生米生卵」がトップに君臨し続ける3つの理由」とか「これで君も大金持ち!アラブで石油を掘り当てる方法」などなど。
これって確かに読んでみようかなと思わせる一方で、似たような記事が多いけぇタイトルの期待と記事の内容がかけ離れていることもよくありんす。(←ありんす??)
それに何かガツガツ感が出すぎて疲れてしまうけぇ、タイトルに労力を使わないよう、シンプルなものにしたんです。

もうひとつは、単純に考えるのがめんどくさい(笑)


一方で時折創るような創作ものについてはしっかりとタイトルを考えるようにしていますわ。これは画竜点睛じゃないけどタイトルを含めて作品であって、ここを脱力するのはないかなと。
ちなみにタイトルが先か、中身が先かはまちまちなんじゃけど、小説を書く時はタイトルが先、事実や思考をまとめた物を書く時は内容を先に書くことが多いかな。
また、ニュース記事も考えたタイトルにしとるんじゃけど、これはあまり理由がないかな。強いて言えば、考えたことを一言でまとめたものをタイトルにしているっちゅう感じじゃわ。


という訳で日記を書く時のタイトルはシンプルなものにしとって、おそらくこのスタイルを変えることはもうないと思います。
だから、タイトルがあまりにもシンプルじゃけぇ、中身に何を書いたか自分でも覚えてないです。なので、同じことを何年か後に再び書くというデジャブ感満載の現象も発生します(苦笑) まぁ読み返すこともなかなか無いし、同じことを書くっちゅうことは思考が変わってないっちゅうことで、それはそれでいいのかなと。

バカボンのパパ風に言うと「これでいいのだ。」

大事なことは、ある出来事・ものについて何かを感じ、自分の考えをまとめて、アウトプットをする。それを続けることが大事じゃけぇ、タイトルがオモニになってもいかんしな。(←「オモニ」をカタカナで書くと、お母さん感が満々)
読者を増やしたいというよりも自分の記録であり、自分の書きたいことを書いとるだけぇじゃけぇ、一番は自分の事を思って継続できるようにしているわけです。


しかし、我ながらホンマにタイトルだけじゃと何を書いたか思い出せません(笑)
まぁ夕飯に何食べたかも怪しいくらいじゃけぇなぁ(苦笑)


わっしょい(・∀・)ノ


そんなこんなで今日は
風と共に/エレファントカシマシ

エレカシって本当にカッコいい大人の唄が多いな。
「さよなら昨日の私 思い出は懐かしいけど」
旅人感が凄い。