悪童と呼ばれた幼少期に始まり、時世にまったく興味が無かった青春期であったが黒船の来航とともに人生が大きく動き出した。幕末から維新にかけて薩長土肥や会津と関わり、自由民権運動を主導した政治家・板垣退助。変革期の日本で彼が見て、彼が感じて、彼が伝えたかったこととは・・・。
「板垣死すとも自由は死せず」というあまりに有名な言葉がありますが、一方で板垣退助については自由民権運動の主導者であることと旧100円札に描かれていることくらいしかしりませんでした。もちろん会津での動乱に絡んでいることも恥ずかしながら知りませんでした。
歴史小説ということもあって少し取っつきにくさはあるのですが、随所で印象的な言葉もありましたね。
「人間は困難に耐えられないのではなく、理由なき困難に耐えられないのである。」や劣勢は明らかなのに仁義をつくした大鳥圭介の「会津にもどる」という宣言も良かったです。
そして、後藤象二郎に対して政党に加勢せよといった板垣退助のシーン。
幼いころから歳を重ねてきた二人が、40歳をこえても風呂でじゃれ合ったシーンに思わず笑みがこぼれてしまいましたね。
混乱の時期にはカリスマ性のあるリーダーの出現を民衆は求めますが、板垣退助は名実ともに立派なリーダーでした。