どちらかと言えば、つぶあん派です。

はじめまして、よっさんと申します。1982年、広島県生まれ。「あひるの空」とゆずの「夏色」とチキン南蛮を愛する一児の父。瀬戸内を盛り上げるために日々奮闘するも、泳げないのがタマニキズです。

【君のフレンチクルーラーをたべたい】

ー僕が恋をしたのはドーナツをよく食べ、よく笑う女の子だった。ー

高校生になり、2週間が過ぎた。横川陽介の通う高校はほとんどが地元の中学校から進学する生徒ばかりで、あまり友達の多くない陽介でも会話をするくらいの友達はそれなりにいた。
それでも弁当を食べる時間はまだ慣れない。中学の時は給食であり、みんな同じ食事だったので気にもならなかったが、高校は弁当。母さんは一生懸命作ってくれるし、息子の陽介から見ても見た目も味も十分なくらいしっかりしたものだった。しかし、それが反対に思春期の世代にとっては恥ずかしく、マザコンと思われたくなかった陽介はいつも学校の屋上で弁当を食べていた。

今日は昼休憩をまたいで職員室に呼ばれたので、いつもよりも少し遅く屋上に上がった。扉を開くと春の爽やかな風が花をくすぐる。春の匂いというと大げさだが、どこか優しい風に吹かれるのは悪くもない。
ふと見ると、ひとりの女の子が手すりのそばに座っていた。

「あれ?」と思い、陽介は女の子の近くに行った。

「白島さんだっけ?」そこにいたのは同じクラスの白島晴香だった。
「あら、横川くんもここでご飯?」晴香は笑って応えた。晴香とはクラスでもあまり話したことが無かったので陽介は自分の名前を憶えてくれているのが意外だった。

「ん、ああ。高校になってから弁当になったんだけど、なんかみんなと一緒に食べるのが恥ずかしくって。」
「へー、そうかな。」
「白島さんは?」
「あたしは親の転勤でこっちの高校を受験したから地元でもないし、まだあんまり友達いないんだよね。あっ、いないって言っても仲が悪いわけじゃないよ!」
「わかってるよ。」

全力で否定する晴香の顔がおかしくて陽介は思わず笑ってしまった。それと同時に、晴香の笑顔がいいなぁと少し思ってしまった。

「あれ、それって?」
「あぁ、これ。フレンチクルーラーよ。」
「もしかしてそれが昼飯なん?」
「そんなわけないじゃん、これはデザート。お昼ご飯はちゃんと食べてるよ。」
「でも、そんなん持ってきていいん?」
「いいのいいの。これ御菓子じゃなくてデザートだから。」

晴香が食べていたのはミスタードーナツフレンチクルーラー。今まで学校にお菓子を持ってくる奴は見たことがあるが、さすがにドーナツを持ってきた奴は見たことがない。

「横川くんも食べる?」と言って晴香はドーナツを差し出した。

「あっ、いや。」
「そう、おいしいのに。あっ、わかった。もうー、こうすればいいんでしょ。」

晴香はかじっていない方のフレンチクルーラーをちぎり、横川に差し出した。どうやら陽介が間接キスに照れてドーナツを食べないと思ったのかもしれない。それでも笑顔でぐいぐい押して来る晴香に負けてしまった。

「あ、ありがとう。」

晴香からもらったフレンチクルーラーは、以前に陽介が食べたことがあるフレンチクルーラーよりも甘く感じた。



くせっ毛の陽介にとってはうっとうしかった梅雨時期も終わり、夏日になる日も増えてきた。学校にも慣れ始め、友達と弁当を食べる機会も増えてきたが、あの時の晴香とのやり取りが気になって時々屋上で弁当を食べることにしていた。
友達も初めのうちは「おっ、陽介、彼女できたか?」と笑いながら茶化していたが、それでも変わらない付き合いをしてくれているのが陽介にとってはありがたい。

この日も屋上に行くといつものように晴香が手すりのそばに座っていた。

「やっほー、待ってたよ。今日は来ると思ってた!」
「えっ、何でわかったん?」
「だって横川君くん、いつも大安の日にここにくるでしょ?」
「えっ、そうなん? 全然意識しとらんかったけど。っていうか、高校生が大安とか仏滅とか気にせんじゃろ。」
「ええー、あたし六曜とか漢方とかめちゃめちゃ気にするんだけど。」

驚いたように、そして照れたように晴香が笑った。何なんだろう、晴香のこの人懐っこさは。

「っちゅうか、そんなん食べとる奴に大安とか漢方とか言われてもなぁ。説得力無いで。」と陽介が笑いながら言った横では、晴香が何事も無かったかのようにフレンチクルーラーを食べていた。

「いいじゃん、美味しいんだし。あーわかった、欲しいんでしょ? もうそれならそれってハッキリ言えばいいじゃん! 男らしくないぞ!」
「いっ、いらんし!」
「いいよいいよ、無理しなくたって。年頃の男の子が甘いもの食べったって誰も気にしないから。はい、どうぞ。」

晴香はフレンチクルーラーをちぎって陽介に渡した。

「あっ、ありがとう。」
「どういたしまして。」

それは明らかにお菓子で、自分が昼休みに屋上で女の子と一緒にお菓子を食べるなんて数か月前までは考えたことも無かった。
それからというもの、陽介は大安の日を選んで昼休みには屋上に上がるようになった。そこには必ず晴香がいて、必ずフレンチクルーラーを食べていた。



教室での晴香を見る限り、特別友達が少ない様にも思えなくて他の女の子たちとも仲良く話をしている。
なんで屋上で昼飯を食べるんだろうと思いながら見ていると、「なーに、白島ばっかり見とるんや。お前、白島が好きなんかー?」と友達が横で笑った。
「違うわ!」と思わず大きな声を出してしまい、晴香に聞こえたのではないかとヒヤッとしたが、そんなことは無かった。

それでも次の大安の日、陽介は自然と足が屋上に向かった。そこにはいつものように晴香がいて、いつものように「やっほー、待ってたよ!」と言ってきた。
思い切って陽介は聞いてみた。

「おっす。あのさぁ、白島って女友達と弁当は食べんの?」
「えっ、食べてるよー。普段は中庭で亜紀ちゃんとか美冬とかと食べてる。ここにくるのは大安の日だけ。横川くんと一緒だよ。」

意外な答えに陽介は戸惑ったが「へぇーそうなんだ。」と平静を装った。

「なになに、もしかして横川くんは毎日あたしに会いたいの? それなら考えるけど」
と晴香がニヤリとしたので「そんなんじゃねーよ。」と返す。
もしかしたら、耳が真っ赤になっているかもしれない。
「まぁ、大安の日以外でも食べたくなったら言ってね、はいどうぞー。」と言ってちぎったフレンチクルーラーを差し出した。

「おっ、おう。」
なんだこの返事・・・と思いながら、受け取ったフレンチクルーラーを口に運ぶ。
相変わらずフレンチクルーラーは甘かった。



特に約束をしたわけではないが、2人は変わらずに大安の日だけ屋上でお昼ご飯を食べた。そして一緒の時間を過ごすにつれて、会話も増えていき、2人の距離感も少しずつ変わっていった。変わらなかったのは晴香が毎回フレンチクルーラーを食べていることだ。

フレンチクルーラーってダルシムの腕輪みたいよな? ストリートファイターのやつ」
「あはは、何それー。」
「いや、いるじゃん。ヨガの達人で火を吹く奴。俺もフレンチクルーラーを腕に巻いたら火を噴けるかな。ヨガフレイム!って」と陽介が口を膨らまし、息を吐く真似をしたので「出せるわけないじゃーん、ははは。でも吹けたらあたしのフレンチクルーラーも焼いてねー。」と言って晴香は笑った。

フレンチクルーラーってデカい車のタイヤみたいじゃな。トラックとかクレーン車とか、あと、山とか道の悪いところでスピードレースするときに走る車があるが。あれのタイヤみたい。」
「あー似てるかもね。でも柔らかいからすぐにダメになっちゃうね。」
「でも、山で遭難したら食料として食えるからいいが。」と言うと「えー、道を走っているんだから汚れてもう食べられないじゃん、ははは。」と言って晴香は笑った。

いつだって会話の主導権は陽介で、しかも自然とフレンチクルーラーのことばかり話していた。晴香は相槌を打ちながら笑ってばかり。それでも、フレンチクルーラーと一緒に、陽介と過ごす時間を噛みしめながら楽しんでいるように思えた。

あの事を知るまでは。


晴香が学校に来なくなったのは年が明けた1月も下旬をまわった頃だった。
その日の朝のホームルーム、担任の海田が「みんなに報告がある。白島が体調不良により昨日の夕方から入院することになった。退院時期は未定だがそんなに長くはないだろうとのことだ。」と言い、教室では女子たちが「ええーうそー」、「晴香かわいそうー」、「ねぇ、放課後お見舞い行こうよー」などと声を上げた。
突然のことに陽介も驚いて言葉が出なかった。そして頭が追い付かないまま、1時限目の授業が始まった。


「ごめんねー。そんなに長くならない予定だし、わざわざ言うことも無いかなと思って。ははは。」
病院のベッドの上でも晴香はいつもの様子だったので陽介は少し安心した。机の上にはクラスの女の子が持ってきたのであろう雑誌やおやつが並んでいる。フレンチクルーラーは無かったが。

「いやいや、マジビビったし。でも元気そうで良かったわ。」と陽介が笑って言うと「へぇー心配してくれたんだ。ありがとね。」と晴香がニコリとした。

ドキっ・・・、その笑顔を見た陽介は自分と晴香の距離が一気に近くなるのを感じた。晴香が同じことを感じているとは知らずに。
そして二人はこれまでと同じようにたわいもないことについて会話を楽しんだ。

「じゃぁ、また来るわ。」
「え、なに? また来てくれるのー? そんなにあたしに会いたいんだー、嬉しいなー。」
陽介が照れて「ばーか。」と言ったが、「ねぇお願いがあるの。今度来るときは大安の日に来てね、これまでと一緒。もちろんフレンチクルーラーも持ってきてね。」と晴香が言ったので「ばーか。」ともう一度陽介はいった。
二回目は笑いながら照れ笑いではなく、自然な笑顔で言うことができた。


それからは晴香との約束どおり、陽介が病院を訪ねるのは大安の日になった。フレンチクルーラーを持って。
話題も屋上の時と同じようにフレンチクルーラーを中心とした話題になったがこれまでと違うのは、陽介が中心だった会話が、晴香が中心の話題が増えたことだ。
フレンチクルーラーってほんと神だよね。あたし、これ開発した人を一生師として仰ごうかな。」
フレンチクルーラーを2個繋げてメガネにしたらパーティーっぽくない? ヒアウィゴーみたいな、ははは。」
「もし悪魔の実フレンチクルーラーだったら、あたし一生泳げなくてもいいや。」
しかし、晴香との会話で陽介はあることが気になった。晴香が発する言葉の中に「一生」というワードが増えたこと。
そして、その理由は不意に知らされた。


3月に入った大安の日、病室のドアを開けた陽介はいつものようにフレンチクルーラーを渡しながら「はい、いつものやつ。でもホンマ好きよね?フレンチクルーラー。なんでそんなに好きなん?」と聞いた。
それを聞いた晴香の顔から一瞬、ホンの一瞬だけ笑顔が消えた。それはホンの一瞬ですぐに戻り、その後は晴香もいつもどおりしゃべり出したので陽介もほとんど気にならななかった

「あたしね、タマオアーゼっていう糖質が溜まりにくい体質なんだって。洋菓子に良く入っている糖質で、普通の人は溜まりすぎるから洋菓子の食べすぎは良くないんだけど、あたしはその逆。だから人よりも多く食べないといけないの。大変だよー、洋菓子は太るし。ははは。」
「それって、放っておくとどうなるん?」
「うーん、世界でも稀な症状だからあまり実例が無いみたいなんだけど、体の燃焼が止まってエネルギーが作れなくなるみたい。」と笑いながら言った。
「いやいや、それめちゃめちゃヤバイが。何で笑っとるん!死ぬかもしれんのんじゃろ?」と思わず声が大きくなってしまった。
それでも、晴香の調子は変わらない。
「まぁ、でも治るかもしれないし、こうして横川くんが定期的にフレンチクルーラーを持ってくれるし。これも悪くないかな・・なんてね。」
陽介は気付いた。晴香は大きな悩みを小さな体で一人抱えていたのだ。そしてそれを誰にも見せないように、誰にも気づかれないようにずっと笑っていたのだった。
「ごめん。」
「何が?」
「俺全然気づいてやれなかった。白島の苦しみに全然気づいてやれなかった。」

陽介の目から自然と涙がこぼれた。

「泣かないでよー、ダメでしょ。男の子が女の子の前で泣いたら。」と笑う晴香を見て、さらに涙が流れてきた。
「男の子が泣いていいのは、親が死んだときと・・」


「目の前の女の子の難病が治った時だけだよ。はい!」

と言って、晴香は陽介の持ってきたフレンチクルーラーをちぎって渡した。
今まで散々食べてきたフレンチクルーラーは甘かったが、この日のは塩辛い味が口の中に広がった。


病室で難病の事実を知らされてからも陽介は変わらずに大安の日に晴香にフレンチクルーラーを届けた。そして、晴香も変わらず陽介との会話を楽しんだ。

フレンチクルーラーっていうくらいだから、一回シャンゼリゼ通りのカフェで食べてみたいよね。」
「ほら見て見て! 指にはめたら指輪みたいじゃない? 給料の三か月分って。あたしも言われてみた―い。」

病室の窓からは桜が咲き誇り、ひどく暑い真夏日にはテレビが埼玉県熊谷市で過去最高気温を観測したと伝え、秋になれば大型台風が猛威をふるい、暖冬でなかなか雪が降らないまま、そこまで長くはならないと言われていた晴香の入院生活は2回目の春を迎えた。


そして、晴香はその短い一生を終えた。

陽介はずっとつないでいた緊張の糸が切れそうになったが、ふと晴香の言葉を思い出して涙をぐっとこらえた。



「男の子が泣いていいのは目の前の女の子の難病が治った時だけだよ。」


◇◆◇◆◇

「ヨースケ! フレンチクルーラーチョーダイ!」

陽介のもとに子供たちが集まってきた。
晴香の死から10年、陽介は医師となり発展途上国で子供たちの医療に携わっている。日本と比べて食事環境も良くなく、病気になる子供も少なくないのだが、陽介は診療に全力を尽くし、医療に真摯に向き合っている。
もう二度と短い一生を過ごすような子供が出ないように。

「よーし、できたぞ! みんなこっちこーい!」
「ワーイワーイ。」

この日は陽介が子供たちにフレンチクルーラーを作った。子供達は美味しそうに、陽介の作ったフレンチクルーラーを食べる。
決して栄養価の高いものではないが、そこには生きることを噛みしめている子供たちの笑顔があった。
その姿を見て陽介はある決意を固めた。


トランジットを経て成田空港に着いた陽介は、そこからさらに東京駅に移動し、新幹線を乗り継いで高校時代を過ごした実家の広島に向かった。
発展途上国の医師となった陽介が向かった先は地元広島の余山寺。その敷地内にある墓地に晴香のお墓があるからだ。
転勤族で日本中を転々としていた白島家だったが、亡くなる間際に「ここの街が好きだなぁ」と言った晴香の言葉を尊重して、両親はこの街に小さなお墓を作ったのだった。
そしてお寺の境内にはちょうど満開の桜の花びらが風に揺られていた。

「よっ!久しぶりじゃな。」と晴香のお墓の前で陽介が笑った。
「俺、医者になったんよ。ほんで今は発展途上国の子供たちの医療に携わっとる。時にはフレンチクルーラーも作ってやりょうるよ、凄いじゃろ! おまえは元気か?」

風の匂いが心地よく鼻をくすぐる。

「医者になってから分かったわ。タマオアーゼっていう糖質なんか無いが。俺あの時はアホじゃったけぇおまえの言うこと信じたけど、タマオアーゼって並び変えるとマタアオーゼ。また会おうぜってことなんじゃな。じゃけぇ、俺頑張ったで。医者になって白島みたいに難病に苦しむような子供たちを少しでも救いたいと思って。じゃけぇ、10年間必死に頑張った。10年間必死に頑張って、そしておまえにまた会いに来たぜ。」

風が止まり、一枚の桜花びらがヒラヒラと落ちてきた。まるで晴香が笑った時のように穏やかに陽介の言葉に応えたのかもしれない。

「白島、いや、晴香。おまえのためにこれを持ってきたんだ。」と言って、陽介は小さな箱を取り出して晴香のお墓の前で開けた。


「給料の3か月分だ。」


かつて屋上で陽介の言葉に微笑んだ晴香のように、風に吹かれて桜の花びらが優しく揺れた。


開けた箱の中にあった綺麗な形のフレンチクルーラーと、陽介の後ろの台車に積まれた大量のフレンチクルーラーが桜と一緒に甘い香りを振りまいていた。